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(31)「死ぬのがアホらしくなった」(「さびしがり屋」ハルコ:その7)【私の出会った子どもたち-いじめと向き合ってきた「けん玉先生」の歩み-】

いじめ、不登校、暴力行為など、さまざまな問題を抱える子どもたち。元小学校長の寺西康雄さんは、彼らとけん玉を通して接することで心の扉を開いてきました。長年の教員生活で出会った子どもたちの姿から「いじめを生まない学級・学校づくり」を考えます。

今回の授業の中で子どもたちが私に見せたもの。それは私の知っていた子どもたちの姿をはるかに越えるものだった。

ミチコの詩を朗読しているときの張りつめた空気。やがてすすり泣きが聞こえ、頬を伝って流れる涙をぬぐう子どもの姿もあった。長い沈黙が続いた。そして話題が女子グループの問題に移ると、ハルコは「…本当は無視したくありませんでした…」と絶句し、机に泣き伏した。彼女の周りに数人の女子が集まり、優しく声を掛け、温かく包み込むように涙していた。

子どもたちはミチコの詩に心を揺さぶられ、いつもにこにこしている身近なクラスメートが実は心を痛めていたことを知った。そして無視されていたヒロコたちにも、無視していたハルコの心にも、痛みがあった。それが今回の授業で私が見た涙と沈黙の理由だろう。

一方で「他人の心の痛みは、そんな簡単に分かるものではない」との思いもあった。

私にそんな思いを抱かせることになったきっかけは、1学期中旬、教え子のノリコから届いた一通の手紙である。その内容は、4月からの高校生活を毎日楽しく送っているとの近況報告であり、次のように締めくくられていた。

中学ではあれこれ言われて傷つき悩んで何度も死のうとしたけれど悲しむのは誰か? 先生だ。
あきらめた。
アホらしくなった。
他人の言葉で死ぬのが嫌になった。がまんした。

3年になった。また、がまんした。
入学試験間近になった。またまた、がまんした。
卒業式で先生と握手した!

高校にも入れた。友達もできた。
誰も嫌なことを言わない。
言ってもほとんど気にしなくなっていた。
やった、学校が楽しい。
本当にやけくそにならなくてよかった。
先生のおかげです。感謝です。

私はノリコが小学5・6年生のときの担任だった。
幼稚園のときからずっといじめの対象にされてきたノリコを守るために必死だった。クラスの子どもたちには、ノリコの心の痛みを理解させ、いじめをやめるよう説得した。しかし、いじめを根絶することはできなかった。

そのノリコが、中学校でも過酷ないじめを受け続け、辛い、悲しい、苦しい日々を過ごし、何度も命を絶とうとしていたとは…。

ショックだった。
いじめを根絶できずに中学校へ送り出してしまったことを悔いた。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。教師としての未熟さを痛感するとともに、今日のいじめ問題の複雑さや難しさを再認識した。

挿絵・金子浩子

私は、夏休み中、生徒指導や教育相談の講演会、研修会に出掛け、専門書を手当たり次第に読んだ。全国各地で、いじめに関する様々な取り組みが展開されていることを知った。

その中で、今の子どもたちの課題は「いじめを許さない強い心」「いじめに立ち向かう行動力」が身に付いていないことであり、その背後にあるのは想像力と共感力の欠如であることが分かった。

今回の授業を通して、いじめ克服に向けて一定の成果はあったといえる。しかし、このままでは一時的、刹那的なものに終わる恐れが多分にある。

次の授業では、心理学的な手法である「ロールプレイ」を取り入れ、他人の心の痛みを想像し、共感できる力を体験的に身に付けさせたいと考えた。

〔付記〕事例はプライバシーへの配慮から登場人物を匿名とし、事実関係についても若干の修正が施してあることをお断りしておきます。

◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

 富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。

 現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。