ミチコの詩「障がい者のほうが…」を読んでから、私は7回にわたる「いじめを考える授業」を計画した。
以下は1回目の授業記録である。
導入として、ここ数年の“いじめ自殺”に関する新聞記事を示し、全国的にいじめが広がり、深刻化していることを伝えた。
さらにアンケート調査の結果から、本校にもたくさんのいじめがあることを知らせた。
その上で、ミチコの詩を朗読した。
クラスは静まり返り、すすり泣きが聞こえた。
私「どうですか…障がい者のきょうだいがいるということでいじめられる。こんなことがあっていいのでしょうか」
「涙をぬぐっている人がいたね。『ミチコさんの気持ち、よく分かる』という人は?」
(全員が挙手)
私「知らないうちにミチコさんを傷つけていたことあるなあ、という人はいませんか?」
「ミチコさんに対してじゃなくても、仲間外れにしたり、無視したりしたことなど、今、気づいた人はいませんか?」
(沈黙)
それぞれが深い思いに浸っているこの瞬間を大切にしたい。
子どもたちの様子をうかがいながらじっと待った。
やがて、私は、準備していたヒロコの日記を子どもたちに読み聞かせた。内容は10日前、ハルコたちのグループから集団で無視され、悲しかったというものだった。
私「ヒロコさん、この日記を書いたとき、どんな気持ちだったの?」
ヒロコ「…私たちは『マニキュア塗り好会』のことを少ししゃべっていただけでした。それを誰かが聞き間違いをして『あの人たちが私たちを無視しようと言っている』とみんなに伝え、私たち4人が無視されるようになりました」
「これからもずっと無視されるのじゃないかと思うと悲しくて、不安で、学校を休みたいと思いました。でも、日記を書いているうちに『私たちは“無視しよう”とは本当に言っていないのだから、また話し合えば仲直りして一緒に遊べるかなあ』『誰だって聞き間違いをすることがある。だから、よく分からないときは本人に聞いてみればよい。ちゃんと聞いて、ちゃんとした証拠のあることしか信じない方がいいなあ』と思いました」
私「ヒロコさんは、日記を書いているうちに心が晴れてきたのだね。これからどうすればよいか、先が見えてきたから『学校を休みたい』という気持ちもだんだんなくなってきて、次の日も休まずに学校に来てくれたのだね。そのとき、ヒロコさんと一緒に無視されたという人、誰だったかな?」
(クミコ、トミコ、ミツコの3人が挙手)
クミコ「そのとき、私たちは4人でしか遊べませんでした。それまでは、みんなと一緒によく遊んでいたのに、みんなから無視されてさびしかった…」
トミコ「このままではいけないと思って、先生に相談しました。話し合いをすると、私たちが“無視しよう”とは言っていなかったことをみんなが分かってくれて仲直りできました。私も『学校へ行きたくない』と思っていたけど、今は学校へ行くのが楽しくなりました」
授業の終り、私はハルコに発言を促した。
私「ハルコさんは、今、どんな気持ちですか?」
ハルコ「私たちがいつも一緒に遊んでいると、ヒロコさんたちが私たちの悪口を言っているというか、そういう感じがして心細かったので『あっちの人たち、私たちを無視しようとか言っとるんじゃない?』とか言って無視しました」
「本当はヒロコさんのことを嫌いではなかったから『一緒に遊びたいな』とか『無視なんかしない方がいいなあ』と思ったけど、反対に私一人が無視されると…さびしいと言うか…困って…本当は無視したくありませんでした」
ハルコはそのまま机に突っ伏し、むせび泣いた。その姿をヒロコたち女子が囲み、優しく声を掛けた。

〔付記〕事例はプライバシーへの配慮から登場人物を匿名とし、事実関係についても若干の修正が施してあることをお断りしておきます。
◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。
現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。