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⑩保育所で気後れする娘【娘といふ神-男50歳の子育て歌日記】 高島 裕

 生後6ヶ月を過ぎ、娘は順調に成長していった。下の前歯から順に歯が生え始める。離乳食は、お粥と、ペースト状に溶いて食べるベビーフードをちゃんと食べてくれる。腹這いでじりじり前進するようになり、不安定ながらおすわりもできるようになってきた。絵本を読み聞かせると、声音や色彩に反応して喜んだ。

 秋も深まって来たある雨の日。私は仕事を休んで、妻と娘と連れ立って、近所の保育所に出かけた。それは、五十歳になった私自身が、遠い日に通った保育所であり、改装されてはいるものの、外観も中の様子もだいたい昔のままである。その日は、近く入園予定の子どもたちを、すでに在籍している園児たちと一緒に遊ばせ、保育所の日常を体験してもらうという日であった。私たちは娘をもうじきその保育所に入れる予定で、その前に食品のアレルギーの有無を確かめないといけないので、妻は毎日一生懸命、様々な食材で離乳食を用意して食べさせ、食品の一覧表にチェックを入れていた。

 都市部で深刻な保育所不足が問題となっている中、私たちの住むこの片田舎の町では、希望して保育所に入れないという話は聞いたことがない。この保育所も、少子化でめっきり人数の減った園児たちが、私たちの頃と同じ広い施設で、のびのびと遊んでいる。

 その日私は、他の子どもたちの中にいるわが子を、初めて見ることになった。十人程度の子どもたちだが、みんな、年齢・月齢が娘より上である。他の子たちが立って歩き、思い思いのおもちゃを手に活発に遊ぶ中、娘はまだハイハイもできず、気後れした表情でその場に佇んでいた。泣きはしなかったが、他の子たちとコミュニケーションを取れず、どうしてよいかわからない様子だった。それでもときどき、家でしているように発声してみたり、腹這いになって背を反らせ、両足で空を蹴るような仕草をした。家でなら「じょうず、じょうず」とほめられて拍手してもらえるところだが、他の子たちが活発に歩き回っている中では、注目してはもらえない。私は娘のその姿を見て、切なく、いとおしい気持ちがこみ上げてくるのを覚えた。

 はるか遠い日に、私自身が、まさにこの場所で味わった戸惑いや寂しさを思い出していた。私も、両親が今の私たち同様高齢で、腹違いの姉は歳が離れていてすでに家におらず、事実上一人っ子として育った。保育所に入ったのは4歳になってからだったが、優しく包まれて家にいる時と、保育所で、遠慮を知らぬ大勢の子たちの中にいる時とのギャップは、幼い心に深い影を落とした。

 そういうこともあって、早い時期から集団の中で揉まれた方が、娘自身のために良いと思った。だが、この日の娘の様子を見た私たちは、それはもう少し後でいいのではないかと感じた。ハイハイやつかまり立ちができるようになり、他の子たちと対等に向き合えるような身体条件が整ってからでないと、心配だし、かわいそうだ。

 私たちは、娘を保育所に入れるのは、誕生日を過ぎるまで延期することに決めた。

入園は春まで待たう、春まではきみが世界の中心である
 

◆高島 裕(たかしま・ゆたか)◆


1967 年富山県生まれ。
立命館大学文学部哲学科卒業。
1996年「未来」入会。岡井隆氏に師事。
2004 年より8年間、季刊個人誌「文机」を発行。
第1歌集『旧制度』(第8回ながらみ書房出版賞受賞)、『薄明薄暮集』(ながらみ書房)などの著書がある。
第5歌集『饕餮の家』(TOY) で第18 回寺山修司短歌賞受賞 。
短歌雑誌『黒日傘』編集人。[sai]同人。
現代歌人協会会員。