メニュー

②できること極めれば、きっと道は開ける 水球日本代表の稲場朱里、悠介選手の母に聞く【我が家の子育て】

東京五輪の水球日本代表に富山市出身の稲場朱里さん(23)と悠介さん(21)姉弟が選ばれました。五輪代表の切符をきょうだいで獲得するのは、県出身者としては初めて。2人の兄、航平さん(25)と妹の晴香さん(19)も、国内トップクラスの水球選手です。4きょうだいの母、智春さん(50)のインタビュー前半は、4人の小中学校時代を振り返ってもらいました。

(左)稲場朱里(いなば・あかり)堀川中、秀明英光高(埼玉)、秀明大(千葉)を経て、2020年に電算システムに入社。17年のユニバーシアードで日本初の銅メダル獲得。

(右)稲場悠介(いなば・ゆうすけ)堀川中、第一学院高(通信制)を卒業し、新潟産業大に在学しながらブルボンでプレーする。高校3年で日本代表に選出されたインターコンチネンタル杯で3位。

進路は本人たちに任せる

子育てを振り返る智春さん

航平と悠介は、水球部がある富山北部高校へ、朱里さんは全国トップクラスの水球選手がそろう秀明英光高校(埼玉)へ進みました。いくつかの高校からお誘いを受けていましたが、進路は本人に決めさせました。

水球はまだマイナースポーツです。特に女子はプロチームがないこともあり、将来を考えて、高校進学をきかっけに競技をやめる選手がたくさんいます。それでも朱里は「水球をやる」と決めたので、私は「一つできることを極めれば、きっと道は開ける」と背中を押しました。

でもやっぱり、寮に入るため高校に送って行った帰りの車中は「本当に県外へやってしまった」とずっと泣いていました。

朱里 一度だけ泣いて電話を

朱里は今もですが、あまり連絡してくることはなく、あっさりした性格。ただ1度だけ泣いて電話してきたことがありました。高校3年の時、日本選手権で準優勝し、日本代表に選ばれた時でした。泣きながら「代表になってしまった。どうしよう」って。

それまで高校生で日本代表に選ばれたケースはなく、本人は夢にも思っていなかったので不安に押しつぶされそうになっていました。私は「あんたに誰も期待してない。とにかく先輩の言うことをしっかり聞いて、自分にできることを精いっぱいしなさい」と話すと、少し落ち着いたようでした。

高校の卒業式で恩師と写真に納まる朱里さん(左)=2016年2月

自信家の悠介 自分にも厳しく

悠介は自信家。小学生のころから「世界一の選手になる」と言っていましたが、その分、自分にも厳しく、高校の時も2時間部活をした後、中学生の練習に加わり、さらに居残り練習もして、毎日5時間ぐらいプールにいました。結局、高校を2年で退学し、県内の通信制学校に在籍しながら、水球の本場欧州のプロチームに行きました。学生時代は、やんちゃで誤解されることもありましたが、先生やコーチたちは、本人の芯の強さや優しい面を理解して指導していただき、本当に感謝しています。

きょうだい4人、今はそれぞれ違う場所で水球に取り組んでいますが、仲はいいですね。朱里、悠介、晴香でグループLINEを作っていて、一緒にオンラインゲームをすることもあるようです。が、やっぱり水球の話になって、悠介が晴香に厳しくアドバイスすることもあるみたいです。

(左)アジア選手権でプレーする稲場朱里選手=2016年11月、東京体育館屋内プール
​​​​​​(右)シュート練習を行う稲場悠介選手=2019年12月、東富山温水プール​​​​​

水球が子どもたちを育ててくれた

私はずっとフルタイムで働いて、子どもたちはほったらかし。4人とも学校の先生、水球のコーチ、先輩たち、周りのみなさんに恵まれ、水球に育ててもらったと思っています。

親としてやったことは、子どもたちの体づくりのために毎日、会社が終わったら急いで帰って、手作りのご飯をたくさん用意したこと。航平が高校生、朱里と悠介が中学生の時には、毎食ごとに5合の米を炊き、おかずも肉や魚、野菜をバランス良く食べてもらおうと2、3品は必ず作っていました。ハンバーグなら肉は1キロ、コロッケはジャガイモ10個分、春巻きなら30本は作っていました。毎日大きなフライパン2つをフル稼働させて、子どもたちが食事中もずっと何かを作っていました。ここだけは自分を褒めたいと思っています。

インタビュー前半「子も親も水球の魅力にはまった」はこちら>>>