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【我が家の子育て】ヤクルトドラフト3位・内山捕手の父・彰博さんに聞く

子どもが秘めている才能や未知なるものへの関心、あふれんばかりの意欲を引き出すにはどうしたらいいのでしょうか。各分野のトップレベルで活躍する皆さんのご両親に、子どもとの向き合い方を振り返ってもらう「我が家の子育て」。今回は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズのドラフト3位、内山壮真捕手(上市町出身)の父、彰博さんです。

内山壮真(うちやま・そうま) 2002年6月30日上市町生まれ。同町宮川小3年の時に地元チームで野球を始めた。4年生の途中から祖父が監督を務める滑川東部スポーツ少年団で練習。石川・星稜中で全国を2度も制覇し、U15日本代表としてアジア制覇も果たした。星稜高では2年夏の甲子園で準優勝。2年秋から主将を務めた。172センチ、右投右打。

 

ヤクルトドラフト3位・内山捕手の父・彰博さんに聞く

 姉、兄がいる3人きょうだいの末っ子が壮真です。剱岳のように雄大で、壮大なたくましい男にそして真っすぐな男になってほしいと、兄弟に雄真、壮真と名付けました。私自身、幼いころから空手を続け、今も地域で教えていることもあって、3人の子どもにも空手を教えました。県大会では何度も親子で優勝を果たしたことなど、思い出は尽きませんね。

富山県空手道選手権で彰博さん(中央)、兄の雄真さん(右)とともに親子そろって優勝し、記念写真に納まる壮真さん=2013年5月

空手と野球の「二刀流」で体幹鍛える

 壮真は、姉の美侑、兄の雄真が懸命に練習する姿を見て、自然に始めていました。きょうだいの姿をよく観察していて、自分なりに工夫しているのがよく分かりました。そういえば、子どものころスキー場に行ったとき、リフトを降りた途端、まだ教えていないやり方で滑り始めて驚いたことがありました。聞けば、リフトに乗っていた時にうまい人の滑り見てまねたというのです。ダンスの動画を見てもすぐに振り付けを覚えたりして、観察力と見たことをすぐに真似る(表現する)ことが上手な子でした。

 空手は元々、私の父が「男の子は心の強い子に育てなくてはいけない」と、私に習わせたことが影響しています。中途半端で投げ出すことを許さない代わりに頑張ったらしっかりほめました。壮真が野球を始めたのは小3で、しばらくは空手との「二刀流」でした。ピッチャーとバッターが1対1で向き合うところや、ピッチング・バッティングで瞬間的に力を込める動作など、空手の動きと通じるころがあると思っています。足腰と体幹を鍛えたことが今につながったと思っています。

毎年恒例、元旦の滝行で正拳を突く壮真さん=2013年1月1日

ゲームを与えず「外で遊べ」

 子どもたちには、テレビゲームを与えず、いつも「外で遊べ」と声を掛けていました。スキーや海水浴など、自然と触れ合うようにしていました。冬でもスキーウェアを着せて外に連れ出していましたね。週末はよく公園に遊びに行きました。枝を集めて「秘密基地」を造り始めるなど、子どもは環境さえ与えてやれば勝手に遊びを作り出しますよ。

小4からプロ野球選手を志す

 プロ野球選手になりたいと口にしたのは小4のころです。小6で全国大会に出場し、優勝を逃したことで「強いチームで自分をレベルアップしたい」と訴えてきました。親子であれこれ調べ、見つけたのが石川県にある星稜中学軟式野球部でした。夏休みの間に体験に行き、壮真はレベルの高い野球を目の当たりにして、おじけづくどころか「すごい先輩がいっぱいいる」と目を輝かせていました。

 2学年上に水橋駅から通っていた先輩がいたこともあって、自宅から石川県までの電車通学は先輩と一緒だったのでちょっと安心でした。妻は早朝から弁当を作り、夫婦で毎日、駅に送り迎えをしました。監督からは「体を作るためにたくさん食べさせてください」という助言があり、妻は栄養バランスを考えながら弁当を作ってましたね。

 進学した星稜高校では寮に入ったので送り迎えはなくなりましたが、試合がある週末は妻と2人で石川に応援に行っていましたね。試合はほとんど毎週あったので、石川に行くのは、もう近所に出かけるような感覚になってましたね。

思い出を振り返る彰博さん


本が好きでビジネス書も

 中学生になると、本をよく読むようになりましたね。きっかけは、野球部で月に1冊本を読んで感想文を出すという課題があったからです。電車通学だったこともあって、学校の行き帰りの電車の中でスポーツ関連の本を中心に読んでいました。キャプテンになってからはビジネス書も手にするようになりました。京セラ創業者・稲森和夫さんの著書など、リーダー像を論じた本も熱心に読んでいましたよ。駅に送り迎えする車中で「この前パパが読んだ『メンタルタフネス』はよかったぞ」と本を薦め合ったこともありました。

 小学生のころからメジャーリーグ入りという目標をしっかり立てていました。ただ、捕手は各選手との濃密なコミュニケーションが欠かせないポジション。「目指すなら内野手だ」みたいな話をしたことがあるのですが、ある時、高校の寮の部屋をのぞく機会があって本棚を見たらちゃんと英会話の本が並んでいました。目標に向かって頑張っていることが分かってうれしくなりましたね。

息子の頑張りが自身の励みに

 3人の子どもたちにはいつも「目標を持て」「何事も中途半端にするな」と言ってきた手前、まずは自分自身が頑張らないと、と空手に取り組んできました。指導の傍ら、今も大会には出ており、2004年に全国優勝、2019年には念願の日本代表に選ばれアジア・オセアニア選手権の45~49歳形の部で優勝することができました。次の目標は2年後の世界大会で金メダルを獲ることです。シニアの部でも日本代表になるのは、簡単なことではありませんが、壮真の頑張りが自身の大きな励みになっています。1ファンとして、早く1軍に上がって活躍する姿が見たいですね。1軍で活躍することが、夢の実現につながりますし。1日1日、今を一生懸命頑張ってほしいですね。