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① 進路はいつも相談なく 朝乃山関両親に聞く「我が家の子育て」

大相撲界で活躍している富山市呉羽町出身の朝乃山関(本名・石橋広暉、高砂部屋)。2016年3月場所の初土俵からスピード出世を続け、2017年9月場所には新入幕を果たし、その実力と愛嬌のある笑顔で、子どもからお年寄りまで多くのファンを引き付けています。男3兄弟の次男として、富山で伸び伸びと育ってきた少年は、どのような日々を経て、「将来の三役候補」として期待される角界のホープとなったのか―。父・靖さん(60)と母・佳美さん(55)に聞きました。

お友達が“風圧”でバタバタ

―朝乃山関は、小さい時から体が大きかったのですか。

父・靖さん

母・佳美 体の大きさは感じなかったですが、ハイハイするのも、歩き出すのも他の子よりも早かったですね。まだ2、3歳のころだったと思いますが、保育園でみんなが集まって遊んでいる中で広暉が歩くと、まだよちよち歩きのお友達が、広暉の“風圧”を感じてか、バタバタと倒れてしまうようなこともありました。

父・靖 小さいころから体を動かすのが好きで、よく近くの公園でボール遊びをしました。3兄弟の中でも一番活発で、運動能力も高かった記憶があります。保育園の時の運動会で、親子騎馬戦があり、最後の2組まで残ったのに優勝できなかった時には、親の私以上に悔しがっていました。このころから負けず嫌いで、勝負ごとに対する強い意識があったのかもしれませんね。

 

生後11カ月 自宅で愛らしい表情を見せる

―小学生のころは、いろんなスポーツをしておられました。

父・靖 友人に誘われて、水泳やドッジボールを始め、クラブ活動でハンドボールもやっていました。初めて相撲の大会に出場したのは、小学4年生の時。体が大きい方だったのと、相撲が熱心な呉羽地区だったことから、学校の先生に勧められたのがきっかけでした。その後も、大会ごとに勧められ、半ば仕方なく相撲をやっていました。呉羽地区では優勝できたこともありましたが、富山市や県の大会まで行くと、全く勝負にならないくらいに弱かったんですよ。

 母・佳美 ハンドボールは小学6年生で県選抜メンバーに入りました。大きな体のゴールキーパーでしたね。頑張ってはいましたが、楽しみ程度の感覚で、そこまで真剣には取り組んでいなかったように思います。

父・靖 私はどちらかと言うと文化系の人間で、スポーツ歴は少年野球をかじった程度。もちろん相撲経験もありません。相撲の技術的指導は全て、その時々の指導者にお任せしていて、精神面でのアドバイスをしてきたくらいです。子育てについては、良い意味での放任主義というか、それぞれの息子たちの考えを尊重し、進みたい道へ導いてきたつもりです。

8歳 ドライブ先の公園で、父の靖さんとキャッチボール

 

ハンドボール部1週間でやめ相撲部に

―中学校ではハンドボール部に入部しましたが、なんと1週間で退部しました。走り込みの練習に耐えられなかったのが理由と聞きました。しかも両親に何の相談もなかったとか。

母・佳美 ある日、中学校の担任から「今日は帰りが遅いと思います。相撲の見学に行っているので・・・」と電話がありました。その時はまだ何も知らず「え??相撲??ハンドボールはどうしたんですか?」と先生に聞いたくらいです。そうして家に帰ってきた広暉の手には、ハンドボール部の退部届と相撲部の入部届がありました。

父・靖 もともと走るのが嫌いだったので、退部した理由は理解できましたし、もう辞めてきたので「我慢してハンドボールを続けろ」とは言いませんでしたね。それに本人が嫌な事を続けても良いことはないとも思い、子どもの選択を尊重しました。逆に、事前に相談されていたら「諦めずにもう一度頑張ってみろ」と声を掛けたかもしれません。

母・佳美 主人と話し合い、入部届にハンコを押しました。ただ呉羽中学校の相撲部は、富山市外からも越境入学し相撲に取り組んでいる生徒もいて、練習の厳しさは知っていました。なので「3年間は続けられないだろうな」と思ったのを覚えています。

父・靖 今、振り返ってみると、広暉のターニングポイントとなった出来事でした。そこから中学、高校、大学と相撲を続け、プロの世界へつながっていったのですから。あの時、相撲部への入部を反対していたら、今どうなっているか分かりません。

 ―3年間、相撲部で厳しい稽古に励み、相撲の強豪・富山商業高校に進学しました。進路はどのように決めたのですか。

父・靖 私としては、相撲は中学で終わりにするのだろうと思っていました。多分、広暉もそのつもりだったと思います。それが、中学で最後の大会となる全国都道府県中学生相撲選手権に怪我で出られなくなり、不完全燃焼の状態になりました。そんな時に、富山商業高校相撲部の監督、浦山英樹先生(故人)に声を掛けてもらいました。これもまた、ほとんど親への相談なしに「富商へ行く」と本人が決めてしまいました。

母・佳美 高校相撲部の稽古は、中学時代よりも一層厳しくなることは分かっていました。そのことを覚悟で、自ら挑戦したいと決めたのでから、私も応援しようと思いました。振り返れば、ハンドボールを1週間で辞めた子が、相撲を3年間続けたのですから「相撲が本当に好きなんだな」と思いました。

父・靖さん