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③フリーライター 林原りかさん【悩めるワーママ わたしの選択】

子育てもしたい、でも仕事も、自分の夢もあきらめたくない。悩みながら1歩を踏み出したワーママ(ワーキングママ)たちを取材します。

家族の「せい」でなく「おかげで」と言いたい 難局乗り越え見つけた働き方

 

逆境を好機に-。射水市のフリー編集者でライター、林原りかさん(44)は、夫の病気や子どもの不登校…次々と起きる家族の問題に向き合い、状況に合わせて働き方を変える中で、今の仕事にたどり着いた。「家族に『あなたたちのせいで』とは言いたくない。『あなたたちのおかげで』と言いたいと思って工夫してきました」と振り返る。

 射水市出身。新潟大を卒業後、新聞社に就職するが、1年後に結婚のため退社し上京。夫の転勤で仙台へ移り、フリーのコピーライターになった。三女の妊娠中、夫がアルコール依存症を患い、射水市の実家に移って両親と同居を始めた。家族を養うため産後2カ月で「ハローワーク」へ。憧れていた編集者の求人を見つけ、就職した。

 早く一人前になろうと、深夜まで働くこともあった。当時小学生になったばかりの長女とは、交換日記で日々あったことを“会話”した。入社3年目には、育児情報誌「はっぴーママ富山版」の編集長に抜てきされた。「今は大変な思いをしているママでも、将来に希望を持てるように」と、子育てが一段落した働く「先輩ママ」に育児と働き方のヒントを聞く連載を企画するなど、充実した日々だった。

 しかし家庭は順風とはいかなかった。当時家事を担ってくれていた母が病気に、夫は適応障害に、長女が不登校になった。「自分は仕事ができるような気になっていました。たまたま両親が家事を引き受けてくれて、柔軟な上司と同僚に恵まれていただけ。家事は回らず、家族と向き合う時間も足りなくて。力不足を実感し、へこみました」。2014年、入社7年で退社し、在宅でフリーの編集者、ライターとして活動を始めた。

 長女が通学を再開した後、今度は次女が不登校になった。「お母さんのせいじゃないから」と娘たちは言ったが、勤め続けられなかったことへの挫折感から気持ちは晴れなかった。そんな時、女性活躍に関する取材でデンマークを訪れた。多様性を大切にする教育や社会制度を知り、学び方や働き方の正解は一つではないと感じた。「日本の常識に縛られず、自分たちに合ったスタイルで生きればいい」と気が楽になり、講師や広報といった未経験の仕事にもトライした。今は長女も次女も学校生活を楽しんでいる。

 慌ただしい日々の中でも、心掛けてきたことがある。食事を手作りすることだ。時間があればケーキやクッキーも焼く。「手料理は愛情を伝える上での費用対効果が高いんです。それに、子どもが大きくなってくると、私ができることって丈夫な体に育つよう食事でサポートするぐらいで」。現在は商品企画にも携わり「忙しくても家族には安心して食べさせられるご飯を作りたい」というママたちを応援しようと、県内の食品メーカーと県産食材を使った商品を開発した。

県内メーカーと開発した商品を手に笑顔を見せる林原さん

 トライアスロンにも挑戦している。26歳の時に初出場したが、「子どもが小さいうちは無理」と再開をあきらめていた。東日本大震災をきっかけに「自分は生かされている」と感じるようになった。「やりたいことはすぐやろう」と子どもが遊ぶ傍らでスクワットやジョギングをして体力づくりに励み、2011年7月に大会に挑戦した。今もトレーニングを続け、毎年のように大会に出場している。「今の自分は家族のおかげ、ですね」。表情に充実感がにじんだ。

「トライアスロン射水2014」に出場し、スタンダード女子40代で2位に。当時7歳の三女と一緒にゴールした